(一社)楽心館 氣と丹田の合気道会

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峯村 陽一 

2007年7月26日

入門して
15年

峯村 陽一

峯村さんは1992年~2024年の現在も楽心館文京教室で稽古してらっしゃいます。
歴15年、20年、30年の記事を是非読み比べてみてください。

15年

(最終更新日 2007年7月26日)
私が、楽心館に入門してから、約15年になります。 もう、そんなになってしまったかなというのが正直な感想です。 入門は、ある研修会で知り合った人からの「合気道は良いのでやってみたら!!」との強い勧めがあったこと。 そして、中学生の時に学校の柔道のテストでうまくできずに苦手意識があったため、逆に「苦手を克服する良い機会だ。やってみよう。」と思ったことがきっかけでした。 そこで、家や職場から通える道場を探した結果、楽心館に入門することになりました。

続けられた理由 3つ

1つ目は、石川先生の生き方です。

 

 本当にまじめに、謙虚な姿勢で道を探求されていらっしゃいます。 武道だけではないと思いますが、先生と呼ばれる方々が商業主義や権力主義に走ったり、本来の武道の目指すところと離れたところに行ってしまったりということがあるようですが、石川先生はそのようなこととは無縁で、私の入門当時も現在も全く変わっておりません。 いつも初心を忘れずに謙虚な気持ちで道を探求されていることは本当に尊敬、感服しております。 その結果、私たちの様に合気道を習っている者にとっては合気道以外に余計な気を使わずに済む、最高の稽古環境を作っていただいていると思います。

 

 

2つ目は、道を探求されている結果、常に技も考え方も進歩していらっしゃることです。

 

 15年の間にはかなり稽古の内容に変化がありました。 本来の合気道、本物の合気道の追及するために、いろいろな武道を研究され、稽古されていらっしゃいました。 その過程で、楽心館の稽古も柔術を取り入れたり、剣術を取り入れたり、大東流を取り入れたりと、時には私自身もついていけなくなるかな・・・と感じる様な変化がありました。 それでも、続けられたのは先生自身が新しい技をどんどん吸収し、その結果、新しい技は勿論のこと、従来の技のレベルも格段に進歩され、稽古の内容も進歩していることがハッキリと感じられたからです。 もし、そのような進歩がなかったら、私のような未熟な者でもマンネリに感じたかもしれません。 現在の石川先生の稽古は、15年前を思い出すと比較にならないくらいレベルも高く、内容も充実していると思います。 今、私が学なばさせていただいているのは、剣の理・力抜きの手・崩しの術です。

3つ目は、石川先生の社会に対して貢献しようとするお姿です。

 合気道を通して、子供の教育、大人の体と心の健康、日本文化や日本人としての生き方など、多くのことを伝え貢献されていらっしゃると思います。 私の息子達2人とも3歳位から小学校5年生までの7年間、石川先生のお世話になりました。 現在は2人とも学校に、クラブにと忙しく合気道はやっておりませんし、私生活では決して立派であるとは言えないと思いますが、人に対する態度や礼儀、日々の生活での姿勢は稽古を通して教えていただいたことが生きていると思います。 お陰さまで、2人とも、まじめに勉強もクラブ活動もやっているようですし、友達付き合いもうまく行っているようです。 また家庭内でも男の子の割合にはコミュニケーションも多く、家庭内暴力などのようなことは無縁の仲の良い家族だと思います。 普通のことですが、普通であることが難しい時代に特に問題もなく育っていく2人を見ていると、小さな頃に石川先生に教えていただいた心も持ち方、心の姿勢、礼儀などがベースになっていると思っております。これらが私にとっての合気道と石川先生の魅力ですが、

それ以外に私自身の生き方、人生観などに役に立っていること、刺激になっていることがあります。

それは石川先生の武道家としての合気道を追及されていらっしゃるプロとしての努力と姿勢です。 柔術などいろいろ研究、追求されていらっしゃったときには本当にご苦労をされたようです。 武道家同士は技を伝授してもらうのも並大抵なことでは無く、場合によっては反対のことや本質とは関係のないことを教えられたりすることも多いようです。 その様な状況の中で、石川先生は自分で稽古されたり、実践されたりして本質をつかみ取られていらっしゃいます。 怪我をされたり、かなり体を痛められたりした時期もありました。 しかし、体を張ってでも本質を掴みとろうとする姿や努力はさすがにプロだなと驚かされます。 そして日本でも有数の方ではないかなと思わされます。

自分自身も経営者(オプナスhttp://www.opnus.co.jp/corporate_profile.html)であるため、本物の経営とは何か? 本当にお客様が喜んでくれる商品やサービスがどうあるべきか? など表面的ではなく、本質を考え、方針を出し、決定をしているつもりです。 経営も、どれが正しいのかの答えがあるわけではなく、自分自身で何かを掴み取り、答えを出さなければならないことが非常に多いのです。

武道と会社経営は行動としては全く違いますが、どんな道でも本質を求め、真理を追究していく限り、その姿勢や努力の方法、筋道は類似のものがあるように思います。 私自身の勝手な解釈かもしれませんが、そのように考えて、先生が努力されている姿と自分自身を照らし合わせて、自分自身がまだまだ努力が足りないなと反省することが時々あります。 石川先生とは同じ年代であることもあり、武道の師匠でもあると同時に、本質を追求するプロとしてはライバルだと思い、先生を見習うのと同時に負けないように頑張らなければと思って努力しています。

いろいろと話は飛躍しましたが、私自身の感じている、合気道の魅力や石川先生の素晴らしさが少しでも皆さんにお伝えできれば幸いです。

2014年7月4日

楽心館 合気道
の魅力

峯村 陽一

早くも入門してから20年以上が過ぎました

私は週に一度、週末の稽古に参加させていただいております。 

入門当初はこんなに永く続けるとは、自分自身でも思っていませんでした。 しかし今は生活の一部となっています。

私が感じている楽心館の魅力を述べてみたいと思います。 それは、永く続けられた理由にもつながるのですが、第一に、ご指導いただいている石川先生が常に努力され、進歩なさっていることです

20年前に出会った頃の先生は熱心に教え、非常に才能のある方だなという印象でした。 その頃から美しく洗練された技をお持ちの方で、教え方も的確でした。 

今は熱心さこそ変わりませんが、技をかけるポイントや体の基本的な使い方など、以前とは相当の違いがあります。 それは石川先生が常に武道の本質を追究され、姿勢からはじまり、技そのものの無駄のない武道らしい体の使い方などが格段に進歩していると思います。 

進歩のペースも速く、時々、20年以上続けている私も戸惑ってしまうこともあるくらいです。 
しかし、なんとか理解できるようになると、確かに以前と比べると、楽に効果的に技をかけることができるということが実感できます。 

おかげさまで20年以上も飽きずに続けることができているのみならず、いつも新鮮で、初心を忘れずに学ばなければという気持ちになります。

第二に、武道の追求するところの「柔よく剛を制す」や小さい者が大きい者を倒すなどの柔道でよく言われるようなことが体験できます。 
石川先生の教えには、筋肉を鍛えなさということは出てきません。 決して、筋肉を鍛えることを否定しているのではありませんが、筋肉の動きや部分的な力に頼った技にならないように教えてもらっています。 

それでは何を使って技をかけるかというと、体の軸であったり、姿勢であったり、足や腰であったりと、ちょっと聞くと当たり前のことに聞こえることなのです。 

しかし、これができると腕の力やスピードなどの部分的力や速度に頼った技ではなく、体全体を使った効果的な技につながります。そして技をかけている本人は非常に楽に技をかけることができるようになります。
 このことは横から見ていても一見、違いが分からないくらい微妙ですが、手や足の筋肉を使っての技と体全体を使っての技の違いは、技をかけられている相手に技の効き具合や対抗できないのではっきりと違いが分かります。

このあたりが本当に武道らしいところで、相手や周りから分からないようにし、気づいたときには技をかけられている状態になっているということです。 決してスピードや体力で技をかけているのではないところが、ポイントです。 ゆっくりかけられても、気づいた時には、対抗できず受け身をとるしかない状態になっています。

逆に、気づかれたら対抗されてしまいます。 攻撃しようとしているまたは、抵抗しようとしている相手に気づかれないうちに体勢を崩し、技を決めていくということを教えてもらっています。
このあたりは、レベルの高い指導者でないと教えられないのではないでしょうか? 他の道場のことは分かりませんが、石川先生はかなり高いレベルで実現し、まだまだ先を追求されています。

以上、楽心館の魅力をうまく伝えられたか分かりませんが、稽古は子供から70歳代まで(場合によっては80歳代まで)稽古しています。 
こんなに幅広い年代の方々が稽古できるのも魅力の一つです。 

初心者や子供に合わせて、優しく時には厳しく指導してくれます。 ベテランや高齢者にも合わせて指導してくれます。

そして真摯にご指導いただけるので、新しい体験や気付きが多く、私もまだまだ続けていくつもりです。

(ちなみに、私は50歳代です。)

2022年9月1日

入門して30年

峯村 陽一

もう入門して30年になりました。そして最近感じていること。

入門して15年のときも20年の時も感じたことですが、早くもという感じで30年を迎えました。しかし合気道というか合気というものは、やればやるほど奥が深く、探求しつづけるべき内容がたくさんあると最近は特に感じています。というのも、すでに60歳を過ぎていますが、最近になってできるようになった技やコツなどが多くあります。

ご指導いただいている石川先生の技や指導の仕方も進歩していることがベースにあるのですが、特に最近は「中心軸」「一文字腰」「居合腰」「丹田を使う」「胸を緩める(上丹田を使う)」「二の腕の脱力」など、自分の姿勢や相手に対しての力の発現方法や方向性などのポイントを指導していただくことが多くなっています。そのような体の使い方、力の使い方、相手との関係は日常生活や他のスポーツとはかなり違い、大東流や合気道特有のものだと感じます。実際に石川先生に技をかけて頂くと、どこから力が発せられるのか、どうしてこんなに楽々とこちらが崩されるのか、技が決まるのか、日常の体の使い方では理解できない感覚になります。

しかし、ご指導のポイントを私なりに稽古を通じて体で理解し、再現できるようになると、今までやっていた同じ技がより楽にできるようになり、相手を崩したり、倒したり、抑え込んだりという動作が、より自然に、そして相手に違和感(力感)を感じさせることなくできるようになってきていると感じます。そんなところが、この武道の不思議なところでもあり、面白いところでもあります。

私自身も若いころの方が体力や筋力も強かったと思います。しかし今の方が自分の体の状態、そして相手の体の状態を感じ取り、どの方向に技をかければ効果的かが感じられることが多くなっています。横で見ていると技としては同じように見えても、ほんの少しの姿勢、体の使い方、技や力の方向、相手との関係性の違いで、技のかかり具合が大きく違ってきます。単に体力やパワーに頼らない、「小よく大を制する」という感覚でしょうか。

大東流や合気道の先達の多くの方は、かなりの高齢まで元気で稽古され、そして亡くなられる直前まで進歩し続けたと言われています。もちろん私自身が先達の方々と比較対象にならないレベルだとは分かってはおりますが、大東流や合気道というものが体力や体格、性別、年齢に関係なく、一生でき、そして体の動く限り進歩し続けられる武道だと感じています。

そのように考えると、石川先生にご指導いただきながら稽古を積んでいけば、私自身も年を重ねてもまだまだ進歩の余地があると感じられ、今よりももっと楽に、自然に技を決めることができるようになると自分自身で期待しています。

そして今後の稽古も人生も楽しみにしています。